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巨大火災の度に、むしろ発展してきた町

7月1日放送のNHKスペシャル 大江戸 第3集「不屈の復興!!町人が闘った“大火の都”」見ましたか?東京のルーツ・江戸の知られざる姿を描く3回シリーズ。第3集は“火災都市”江戸の物語。何度も巨大火災に襲われながらも不死鳥のように蘇り発展し続けてきた江戸の秘密について話されていました。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に東京は、大改造を行っています。掘り進められた工事現場からは、江戸時代の地層も出てきています。地層断面を画像で映し出すと、黒い部分が当時の木材の焼け落ちた跡…火災層と説明し、その上には盛り土があって、その上にまた黒い層と…何層も、それが繰り返されていました。

去年、東京駅近くの工事現場からは、江戸時代265年の地層が初めて一度に出土したそうです。そこには、大火の跡「火災層」が幾層も残されていました。最新研究から、頻繁に見舞われた江戸の大火は89回。江戸は3年に一度の割合で大火に襲われる、“世界最悪の火災の町”だったことが判明します。さらに、膨大に残されたデータから、竜巻のような炎「火災旋風」が猛威を振るっていたことも分かってきたのです。

江戸の人々は、この災厄の町とどう向き合い、どのようにして復興を成し遂げ発展させていったのか?番組では、大火後の江戸の大改造や防災対策の成果を、最新のシミュレーションで検証していきます。

初期に見舞われた明暦3年(1657年)1月の明暦の大火では、犠牲者60,000人以上。いくつも発生した火災旋風、町は3日間燃え続けて、江戸城も焼け落ち、江戸の七割が焼け落ちたといいます。ところが、何故か焼け落ちたあと、50万の人口から2倍に増えて、100万人の巨大都市へと復興していったのです。被害をむしろ大改造の機会と都市を拡大し防災対策まで施していった江戸幕府。幕府は天守閣の再建をあきらめて、住民を大移動させて、新たに【火よけ地】を設け、火災による被害を減らしていきます。

ところが、元禄11年(1698年)10月の勅額の火事の頃になると、何故か【火よけ地】に人が住み着いてしまいました。復興によって人工が増えたことで防火対策が崩れてしまったのです。そこで産まれたのが火消し組。それまでも武士による火消しなどはあったようですが、実際に役立つようになったのは町火消が登場してからのようです。

江戸時代後期から幕末にかけて、町火消が武家火消に代わって江戸の消防活動の中核を担うようになり、やがて、江戸以外の大都市や各藩の城下町などでも、それぞれ火消の制度が定められていきます。これらの消防組織は、明治維新後に廃止・改編されるのですが、その系譜は現代の消防署・消防団へと繋がっており、町火消しの子孫たちは、江戸時代から300年経過した今も、儀式を続けられているようです。

町火消は、家を破壊することで炎が燃え広がらないようにする消化方法で、被害を少なく治めようとしたため、人々は火事を沈下させるために、躊躇なく家を差し出したそうです。やがて、壊しやすく建て直しやすい建材で家を建てるようになり、防火用の穴を設け、必要なものはそこに投げ込んで荷物なしで逃げていたのです。

当時いた外国人が日本人の様子を記録しており、「火事なのに笑っている」と驚いたそうです。それだけ覚悟していたということ…何度も繰り返す火事の中で、お金や物に執着しない潔さが身に付き、それが江戸っ子を産み出していったというのです。火事の多い江戸を表した「火事と喧嘩は江戸の華」というセリフ…納得です。

復興で新たに産まれた地域には庶民の施設が作られ、災害時に備えて「木場」には、木材を集めて備蓄。非常食も備蓄していく事で、誰もが安い値段で家を再建し、ただで食を得られたそうです。災害経験を繰り返し体験することで、お互いに力をあわせて乗り切る逞しい江戸の庶民。それは日本人の魂とも言える素晴らしい気質なのかもしれませんね。

さてさて、それでは次回ブログパス、暗号問題。
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で、この2つの変換を参考にして、これは?
ptcgaemqtxcgpt➡???

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