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様々な壁を乗り越えて大学に入り、夢を持ち続ける事

11月18日放送のザ・ノンフィクション 【「それでも、日本で生きる」〜あるミャンマー難民家族の苦悩〜】の回、ご覧になられた方は居ますか?改めて言うまでもないかも知れませんが、『ザ・ノンフィクション』は、フジテレビで放送されている日本のドキュメンタリー番組で、今回の放送内容は、平成30年度文化庁芸術祭参加作品ともなっています。

8年前、母国を捨てて日本へやってきた一組の難民家族がいます。家族の中で一番早く起きるのが定時制の高校に通っているカンナさん17歳。昼間はファストフード店で働いており、いつも家族の為朝食の準備をしていました。母親は押入れで寝ており、末っ子のランさんは中学2年生で、バスケットボールに夢中。父のネイミンさんら夫婦は清掃の仕事をしていました。22歳の男性ベントゥさんは1人だけ家におり、このベントゥさんが、今回の主役です。

昨年、3月にベントゥさんは私立大学の受験に失敗し、浪人中でした…。ベントゥさんの故郷はミャンマー。ベントゥさん一家はカレン族で、60年以上に渡り政府と戦っていました。内戦で10万人以上のカレン族が住むところを失い、一家は難民キャンプに逃げ込みますが、外に出ることは許されませんでした。そんなベントゥさん一家に日本に移住する話が舞い込んだのが15歳のときで、第三国定住制度を利用したものでした。

ベントゥさんの夢は大学に合格し、いずれは難民キャンプで働くこと。ベントゥさん一家のムードメーカーは5歳下の妹カンナさんで、日本語の苦手な母親の買い出しにも付き添う優しい妹さんでした。しかし、母親は日本に対して心を開けずにおり、家に引きこもりがちな母親のことをカンナさんは心配していました。母親は日本語の勉強は難しいからやらないと話していたのです。

来日直後ベントゥさん一家は日本語の研修を受けていましたが、当時40代後半の両親は、言葉の壁に苦しんでいました。長く使ってきた言語と違うものを使いこなすのは、容易いことではありません。その後、一家は国が用意した農家の仕事を離れ、上京しますが仕事のあてがあったわけでもなく、あまり日本語を必要としない清掃の仕事についていたのです。

妹のカンナさんは日本で専門学校に通い、メイクアーティストをやりたいという夢を持っていました。一方のベントゥさんは、合格すると学費や生活費の援助も受けられる制度を活用して、進学をしようとしていました。…夢のような制度は「UNHCR」と言いますが、受験できるのは全国で8校。(UNHCRのサイトによると現在パートナー大学は11校との事でした。)

ベントゥさんは、難関の上智大学が第一志望。選考内容は、①書類選考②筆記試験:試験内容は、日本語の試験(小論文を含む) ③面接となっていましたが、ベントゥさんは①の試験を終えた後、体調を崩してしまいます。病院に行くと十二指腸潰瘍で入院することになってしまいます。浪人してしまったベントゥさんにとって、今年で受験が最後というプレッシャーが体を蝕んでいたようでした。②の試験まで、時間はあまりありません。

ベントゥさんが苦戦していたのは日本語で書かなかればならない志望動機。体調が万全とも言えない中、ベントゥさんはラストスパートに向かっていましたが、妹のカンナさんは家に帰って来ない日が多くなっていきました。家庭の収入から自分の夢を叶えられないと思い込んで、家を遠ざけるようになってしまったのです。

暫くして、カンナさんは悪びれる様子もなく家に帰ってきて、専門学校進学をやめようと思っていることをベントゥさんに話しました。ベントゥさんは親に変わり、カンナさんの帰りが遅い事を叱ります。

父親のネイミンさんは家族には内緒で病院に通っていました。難民キャンプにいたとき、肝臓の病気に感染してしまい、今も治療を続けていたのです。父親は心身ともに疲弊し、子供の事を考える気力も失っていました。一方、母親にカンナさんのことを聞くと、ただうつむくばかりで、その後、自身の両親が早く死んでしまったことを話していきます。

久しぶりに家に帰ってきたカンナさんはメイクのせいか雰囲気が違っていました。物音で目が覚めた母親はコワイからと話すと、カンナさんは日本のことを知ろうとしないくせにとつぶやき、着替えだけを持ってそのまま家を出ていってしまいます。

そんな中、ベントゥさんが第二志望の大学に合格したという知らせが入ります。4月からは念願の大学生。その後、久しぶりに高校時代の親友だった小町さんに会い、自身が難民であることを始めて明かしていきます。生い立ちを聞いた小町さんは、言いにくいであろう話をしてくれるほど”友達”として思われているのが嬉しかったと話していました。ベントゥさんは将来、国連の人権機関で働きたいなどとも話していました。

大学の入学式。この日はお母さんも仕事を休んで入学式に出席しました。それから半年後の2018年10月。ベントゥさんはいよいよタイの難民キャンプに戻り夢を持つことの大切さを伝えるため、動き出しますが、ミャンマーが国を出た者を入国させないという現実を知り、がっくり・・・。

その後、ミャンマーの少数民族を支援してきた団体のもとへ足を運び、ベントゥさんの気持ちを伝えていきます。兄が大学へ進学するという目標を達成した姿を見てか、妹のカンナさんは以前より無断外泊が減り、アルバイト先ではマネージャーにまで昇進していました。

言葉の壁、経済的な壁、支援する制度の壁…数々の試練が、これからも待っているのでしょうが、折れずに自分の夢を実現させて行って欲しいものです。

さて、前回ブログのパスワードですが、下記の換字表を使って解読すると・・・

問題が・・・

ということで、「忍び伊呂波」換字表からカナリア・・・ yで終わる英語でcanaryがパスワードとなります。

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