NEW ENTRY

最新情報

消滅危惧言語【琉球語】、『方言札』で強制的に話せなくなった???

7月30日放送のワタシが日本に住む理由『ハイス・ファン・デル・ルベさん』の回、見た人はいますか?

風車が大好きだったオランダ王国の少年は、初めて来た日本で出会った琉球語に魅了され、オランダに帰ると、独学で琉球語をマスター。日本在住6年で、現在は、沖縄で琉球諸語の研究員として働いています。

沖縄のお爺さんやお婆さんと何だか楽しそうにおしゃべりするハイスさん(36歳)。でも、話している言葉は琉球語でさっぱり分からずチンプンカンプン。沖縄にいる人でも琉球語を話せるのは50歳を越えた方でないとなかなかいないようでした。

2001年にライデン大学の日本学科へ進学。20歳になって2002年に初来日すると、アルバイト先で知り合った沖縄出身の同僚から「ウチナーグチ」を教えてもらい、日本の方言に興味を持ち始めます。大学卒業のためにいったんは帰国したハイスさんですが、沖縄の言葉が頭の片隅に常に…。そんな思いを胸に29歳の時にあらためて来日したハイスさんは沖縄へと向かいます。

「出会えば兄弟」という意味の「いちゃりばちょーでー」という沖縄の言葉を紹介しながら、沖縄との"初対面"について「その気持ちが伝わってきた」「沖縄に一目惚れでした」とハイスさんは感慨深げに話されていました。

2012年に沖縄に移住し、34歳の時に琉球大学で言語学の博士課程を修了。現在は琉球大学で沖縄の言葉を研究する日々を送っています。目を輝かせながら「方言というより言語」と解説するハイスさんですが、一方で琉球諸語はユネスコが「消滅危機言語」に指定するほど使っている人が減少。「沖縄の言葉を未来に遺したい」「今やらないといけない」と胸の内を熱く語ります。

【消滅危機言語】…初めて耳にした言葉で「アイヌ語」も入っていました。何故、沖縄でというか琉球語を話す人がこんなにも少なくなってしまったのか…。それは、番組の中でお年寄りが話されたことから知る事が出来ました。

明治末期から昭和40年頃まで、学校で方言を話したものに罰として下げられた木の札…その名を『方言札』と言うそうですが、そんな事が行われていたが為に、方言が話せなくなったそうなのです。先だってのブログでも書かせて頂いた近代になっても沖縄だけに課されていた人頭税の事を思い出します…。

先日、沖縄の翁長知事が亡くなられました。先月、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認撤回を表明したばかりでしたが、命を懸けての政府へ訴え…きっと受け継いでくれる人が現れるものと信じています。言葉一つとっても、オランダからやって来たハイスさんが、ここまで思ってくれているのに、何故同じ日本人として…いや、琉球王国から日本に帰属させてきた人間として、もっと心に受け止めて、行動で表して欲しい気がします。

沖縄県は昨日9日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先である名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認撤回に向け、工事主体である防衛省沖縄防衛局から弁明を聞くための聴聞を実施しました。聴聞はこの日で終了。県は8日に死去した翁長知事が表明した撤回の方針を変えておらず、近く職務代理の副知事が撤回を最終判断する見込みだとか。

沖縄防衛局は早ければ17日にも土砂投入する計画だったようです。早期の投入は困難な状況となったようですが、これまでも強引に事を進めてきた政府…。明日11日には、沖縄をはじめ北海道や静岡県、愛知県など各地で辺野古移設への抗議集会が開催されるそうです。国民の声、どこまで政府に届くのでしょうか・・・。

こちら姉妹サイトも宜しくお願いします。