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SNS等…自分と向き合えない「手のひら返し」・・・

2月15日の東洋経済ONLINEに「手のひら返し」という記事が掲載されていました。コラムニストの木村隆志さんによる記事でしたが、タレント・ベッキーさんの結婚のニュースに対して寄せられたコメントに対して…3年間にわたる批判と今回の結婚に対する祝福のコメントを書き出しに綴られたものでした。

ベッキーさんに浴びせられたコメントの落差は、「手のひら返し」という軽いイメージではなく、さながら「天使と悪魔」のように感じてしまったとか・・・。記事の本題はそこからでした。
【なぜ普通の生活を送っている一般の人々が、まるで2重人格のようなコメントを他人に浴びせてしまうのでしょうか。】
その理由を、よく言われる「無責任だから」「ストレス発散のために」「想像力に欠けるから」ではなく、誰にでも当てはまる落とし穴が潜んでいるからだと言われていたのです。

記憶に新しい嵐の「無責任質問」でも見られた手のひら返し。あの時、ある記者の「『お疲れ様でした』という声もある一方で、『無責任』という指摘もあると思う」という発言に対して、ネットニュースやテレビのワイドショーでフィーチャーされたこともあって、記者への批判が過熱したものの、その後、「あの質問は必要だった」という様な意見が出てくると、世間の様相は一変し、今では「会見で聞きにくいことに切り込むのが記者の仕事」という声が大勢を占めているんだとか…。

インターネットやテレビ番組など、様々な媒体によって泳がされてしまう、人々の「手のひら返し」や「天使と悪魔化」は、メディア報道のせいだけではなく「誰もが当てはまる現代人ならではの落とし穴」があるとして話は進められていきます。

ネットの発達で、日々膨大な情報に触れるとともに、「自分ならこうする……」と考えたり発信したりすることが習慣化。「他人の人生をのぞき見する」機会のほうが圧倒的に多くなり、それが日ごろの思考回路や生活習慣となって、条件反射のような直感的な感情が多くなっていくと…。さらに恐ろしいのは、その思考回路と生活習慣は、誰かと共有することで強固なものとなりやすく、ますます自分の人生から遠ざかってしまうこと。すると、「誰のために、何のために批判しているのか?」「本当にストレスを発散できているのか?」すら自分で分からなくなるほど感情がマヒしていくというのです。

情報過多な時代だからこそ、自ら発信できる場がある環境だからこそ、現代人にとって大切なのは、「自分と向き合うことで心から湧き出る感情を大切にする」こと。「不倫=永久悪」「無責任というフレーズ=極悪記者」などの直感的な感情に陥らないためには、自分より先に他人とばかり向き合ってしまう思考回路と生活習慣をやめたほうがいいと話されていました。

ベッキーさんの不倫騒動に対する批判にしても、自分の人生と向き合っている人であれば、当事者間の問題である不倫にあれほどヒートアップする理由はなく、「本当はどちらでもいいことばかり気になって批判してしまう」というのです。

そして更に深刻なのは、直感的な感情ばかりになると論理的な思考が失われて、幸せを実感できにくい人になっていくことだと指摘されています。視野が狭いこともあって、目の前の幸せすら次第に「当たり前のもの」と感じて喜びが浅くなるなど、寂しい人生になりがちだというのです。

情報にまみれ、自分の人生と向き合わず、よくも悪くも、その矛先は他人へ・・・。ベッキーさんへの「手のひら返し」や「天使と悪魔化」だけでなく、飲食店を中心とした「バイトテロ」「不適切動画」問題への過剰な批判なども含め、自分の人生と向き合っていない人が増えていると指摘する木村さん。

ベッキーさんの結婚を報じる記事や彼女のインスタグラムには、「需要ないから家庭に専念しろ」「これで浮気された妻の気持ちがわかるだろ」「不幸にした人を忘れるな」「“女の敵”というイメージは変わらない」などの厳しい声が見られ、その声に対する「いいね」の数が多かったと言います。実はこれも同じで、厳罰続行を求める人々は、やはり「自分の人生を生きていないから」であり、だから「他人の人生で溜飲を下げよう」としてしまうと言うのです。「手のひら返し」や「天使と悪魔化」をする人より、「厳罰続行」を求める人のほうが、さらにそれが根深く、その状態から脱出できないと…。

他人への直感的な批判を重ねるほど、自分の送りたい人生からは遠ざかってしまうもの。また、「批判はネット上だけ。普段はちゃんとしている」と思っていても、そのコメントには「発した言葉が魂に作用する」という“言霊”が宿っていると続けます。

リアルとネットで分けているつもりでも、自分は1人であり、感情はつながっているという木村さん。「本当はどうでもいいこと」であるにもかかわらず、負の感情を自分の心身に蓄積しないためには、直感的な批判、安易な「手のひら返し」や「天使と悪魔化」、粘着質な「厳罰続行」は禁物だと。また木村さん自身の経験も踏まえて、「会ってみたらいい人だった」という性善説寄りのケースが多いだけに、直感的な批判はできるだけ控えたほうが良いとまとめておられました。

海外では、誤った流れが原因となって、無実の人が殺されてしまうという事件まで発生しています.便利になった時代が産み出した道具に操られないよう、自分を見失わないようにしたいですね。
ちなみに木村さんの記事はこちら東洋経済ONLINEに掲載されています。 SNSでの批判や、他人のニュースへの強いコメントにハマっている方、読まれてみてはいかがですか?

過剰な一般人からの反応まで気になる昨今。私も、憤りをブログにぶつける事がありますが、「自分と向き合うことで心から湧き出る感情を大切に」したいと、そう改めて思わせて頂きました。

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