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連載 西村尚子の生命科学探訪⑬
ストレスを受けた細胞が、タンパク質合成を緊急停止する仕組み

コラム, 学会・研究

ストレス応答タンパク質

時代が令和に変わり、「超」のつく大型連休が終わって約4週間がたちました。今年は「6月病」という言葉をたびたび見聞きします。休みが長かった分、5月病が後ろに倒れるのでしょうか、あるいは長引くのでしょうか。疑問に思って調べてみると、「5月病は新生活を始めた学生や社会人が、6月病は新社会人が研修後の配属のタイミングで発症する心身の症状」とのこと。当事者も周囲も気を配ってほしい、との意味を込めて区別していると推測できます。

といっても、5月や6月に限らず、私たちは常にストレスにさらされています。ヒトは40兆〜60兆個の細胞でできていますので、ストレスによる心身の不調は「細胞にかかる負担の集積」とも解釈できそうです。細胞レベルのストレスには紫外線、活性酸素、低酸素、高温、病原体などがあり、これらを感知した細胞は、負荷を減らすために「平常時の細胞機能を抑制する機能」を発動することが知られています。

「タンパク質合成を緊急停止する」というのも、その一つです。タンパク質の合成(遺伝子翻訳)には、「材料のアミノ酸を生合成する、遺伝子の暗号文をmRNAに写しとる、タンパク質合成装置(リボソーム)をmRNAにセットする、コドンの指定どおりにアミノ酸をつなぐ、化学基を付加する、正しい立体構造に組み上げる」といった段階を踏んだ複雑な反応と膨大なエネルギーが必要です。ストレス下で無理やり合成し続ければ「異常なタンパク質」が蓄積し、病気を引き起こすことになりかねません。もちろん、長期間タンパク質合成を停止すれば生命維持が難しくなりますが、一時的に合成を止める緊急措置は、消費エネルギーを節約し、病気の発症を防ぐ策となるのです。

遺伝子翻訳のスイッチをオンにするのは、「翻訳開始因子」とよばれる一群のタンパク質です。たとえば、酵母や線虫からヒトまで、真核生物に広く保存されている翻訳開始因子に、eIF2とeIF2Bがあります。平常時には、両者が結合することでeIF2BがeIF2を活性化し、活性化eIF2が翻訳スイッチをオンにします。興味深いことに、eIF2とeIF2Bはストレス環境下でも結合します。ただしストレス下では作用が真逆になり、eIF2BはeIF2を不活性化。不活性化eIF2は翻訳スイッチをオフに切り替えてタンパク質合成を緊急停止させます。

これまで、eIF2が不活性化されて翻訳スイッチをオフにするしくみについて、よくわかっていませんでした。ところが先日、理化学研究所のチームがeIF2BとeIF2の結合部位の構造を詳細に調べることで、スイッチをオフする鍵が「eIF2のリン酸化(アミノ酸の特定の水酸基にリン酸基が付加される反応)」にあることを見出しました。

同チームはまず、タンパク質を極低温(約-270度)にして瞬時に凍らせ、生体内での構造を維持したまま高い分解能で立体構造を解析できる特殊な顕微鏡(クライオ電子顕微鏡)を使って解析しました。すると、細胞がストレスにさらされるとeIF2の「特定の一部位」がリン酸化され、eIF2の向きがずれた状態でeIF2Bに結合するようになることがわかりました。eIF2に付けられたリン酸基が邪魔をして、それまでと同じようにはeIF2Bと結合できなくなっていたのです。

さらに同チームは、大型放射光施設(Spring-8:電子を加速した超強力な放射光を利用して物質を解析する施設)にて「リン酸化されたeIF2とeIF2Bとの結合状態」をより詳しく調べ、次の点も明らかにしました。

  1. リン酸化されたeIF2の方がeIF2Bとより安定的に結合する。
  2. eIF2Bは「5種類の小単位(サブユニット)、各2つからなる2回対称(180度回転させると元に戻る)構造」をもち、1個のeIF2Bに2個のeIF2が結合できるようになっている。
  3. eIF2Bの片方の結合部位に「リン酸化されたeIF2」が結合すると、この分子がもう片方の結合部位まで覆ってしまい、「リン酸化されていないeIF2」も結合できなくなる。
  4. 結果的に「eIF2Bによって活性化されるeIF2の数」が減り、翻訳システムが進まなくなり、タンパク質合成がストップする。

長期間にわたって細胞にストレスがかかる場合には、構造や機能が異常でもタンパク質が作られることになります。このような合成異常は、がん、パーキンソン病などの神経難病、糖尿病など、さまざまな病気と関連すると考えられています。人工的に異常なタンパク質合成のスイッチをオフにできれば、病気の進行を抑えたり、細胞が受ける傷害を減らしたりできるかもしれません。タンパク質合成のスイッチ制御は「生命の基盤」となる現象ですが、同時に、創薬のヒントにもなると期待できます。

西村 尚子
サイエンスライター

 

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