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連載 西村尚子の生命科学探訪⑦
アルツハイマー病で顕著な異常タンパク質の脳蓄積,
血液で検出できるように!

コラム, 学会・研究

アルツハイマー病異常タンパク質認知症

増加の一途をたどる認知症の約7割を占める、アルツハイマー病。10年後には患者がさらに35%以上増えると推定され、40〜50代での発症例も少なくないことから、深刻な社会問題となっています。治療薬(ドネペジル塩酸塩、商品名アリセプトなど)が4種類あるものの、いずれも進行を食い止めるほどの効果は期待できず、効き目や効き方には大きな個人差がみられています。

このような状況について、「投薬開始が遅すぎるからではないか」との見方があります。アルツハイマー病患者の脳にはアミロイドβ(Aβ)やリン酸化タウ(p-tau)などの異常タンパク質が大量に蓄積しており、その影響で認知機能を司る神経細胞が傷害されると考えられています。もし、異常タンパク質が溜まりはじめた直後から服用すれば、より強い効果が得られるのではないかというのです。

Aβは、アルツハイマー病発症の20年以上も前から蓄積しはじめると考えられています。Aβは健康なヒトの脳内でも作られるのですが、すぐに分解されるため蓄積することはありません。ところが、アルツハイマー病患者の脳ではAβの分子構造が変化し、分解されずに異常な塊(オリゴマー)となって蓄積します。

これまで、脳のAβ蓄積を検出する簡便な手法はありませんでした。多くの医師や研究者が、血液中のALTやASTの値から肝機能を推定できるように、何らかの血中物質の量を測ることで脳のAβ蓄積の有無を推定する手法を模索しましたが、成功例はありませんでした。

ところが昨年、国立長寿医療研究センターと島津製作所の共同研究グループが、血液に含まれる「特定のAβとAβ関連物質の存在比」を調べることで、脳内蓄積の有無を簡便に推定する手法の開発に成功しました。開発の中心人物は、タンパク質を破壊せずにイオン化させて分子量を測る手法(マトリックス支援レーザー脱離イオン化法;MALDI-TOFMS )を開発し、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏です。

AβはAPPという長いタンパク質から部分的に切り出されたペプチド断片で、さまざまな種類があります。田中氏らは、PETという大がかりな装置による検査で「Aβの脳内蓄積が認められた人(陽性者)」と「認められない人(陰性者)」を対象に、MALDI-TOFMSを使って血液中のさまざまな種類のAβ(およびAβ関連物質)の相対量を調べました。その結果、陽性者と陰性者とでは「特定のAβ(Aβ1-42)と、特定のAβ関連物質(APP669-711)の相対比が異なる」ということを見出し、これが指標(血液マーカー)として使えることを示したのです。

一方のp-tauの脳内蓄積については、京都府立医科大学のグループが、血液を用いた測定法の開発に成功しています。p-tauは健康な人の血中にはごく微量しか存在せず、脳内蓄積があると血中量も増えることを利用したもので、「これまでの1000倍もの感度でタンパク質を検出する免疫学的測定法(Simoa:Single molecular array)」が鍵となりました。p-tauはAβのように発症の20年も前から蓄積するのではなく、発症間際に溜まりはじめると考えられています。また、大脳内におけるp-tau蓄積や広がりの程度と認知症状には、かなりダイレクトな関連性があると示唆されています。

いずれも素晴らしい成果ですが、「これらの検出法を診療の場で使うのは時期尚早」との意見が大半です。脳の異常蓄積がわかったところで確固たる対処法がなければ、発症の不安に苛まれるだけだからです。一方で、薬の開発には積極的に利用すべきとされています。脳内蓄積しはじめた直後の被験者を対象に臨床試験を行えば、「早い段階で服用することで決定打となりうる薬」をみつけられるかもしれないからです。もしかしたら、これまでに製薬会社が開発を断念した薬剤候補のなかに、そのような薬があるのではないかとの見解もあります。

アルツハイマー病の発症を防ぐことができれば、認知症患者を大幅に減らせることになり、社会全体にとって計り知れない福音となるでしょう。人生100年と言われはじめた現代を生きる一人としても、「Aβやp-tauは人間ドッグの血液検査でチェック。異常が確認されても、さっさとワクチンを打てばアルツハイマー病にはなりません」という時代が来ることを、心から願います。

西村尚子
サイエンスライター

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